自身のレイプ被害を語ることで、伊藤詩織さんは日本で#WeTooムーブメントを起こした CHEEK MAGAZINE

TEXT by Pauline Le Gall 2019.4.24

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© Hanna Aqvilin


若いジャーナリストである伊藤詩織さんは、著書『Black Box』を出版した。この本は2015年に起こった、自身の性暴力被害についての物語である。彼女は著書の中で、性暴力とその被害者たちに対する日本社会の関わり方を詳細に分析している。
非常に困難な出来事を経験し、その出来事について頻繁に語らなければならなかった人物との対談を、どのようにして始めれば良いのか、そのことを知るのは難しい。日本のメディア業界の著名人である山口敬之からレイプの被害にあってから、伊藤詩織さんは個人的な要求を傍に置いて、自身に起きた出来事を日本で、そして世界中いたるところで伝えることを自らの使命とした。2015年に起こった事件以来、彼女は日本で記者会見を数回開き、また、著書『Black Box』を執筆した。そして彼女は世界中で著書が翻訳される度、その地を訪れている。私たちは彼女にまったく単純に、調子はどうかと尋ねることにした。彼女は微笑み、しばらく沈黙したのち、「どうでしょう」と二度繰り返した。それから彼女は、二つの自己に語らせるままにして話し始めた。この二つの自己は、彼女の声の中に対話中ずっと混じるものだった。それはつまり、自身の事件を細かく描写し分析することに慣れたジャーナリストとしての自己と、「この試練はいつ終わるのだろうか」と自問する、シーシュポスのようなトラウマを絶えず力強く語り続ける、サバイバーとしての自己である。

伊藤詩織さんはこう説明する。「私は良くなっています。私の事件以来、物事が変化し、社会が変わったことを嬉しく思っているからです。しかし、絶望を感じるときもあります。特に日本に戻ったときにです。先週、初めて桜が満開の時期に日本に戻りました(著者注、彼女は現在ロンドンで生活している)。そして私は、自分がどんなにこの時期を避けていたかということに気づきました。なぜなら満開の桜を見ることは、事件の起こった4月のその夜に私を引き戻し、トラウマを引き起こしていたからです。世間は私のことを「サバイバー」といいます。しかし、私は自分のことを生き延びたとは思っていません。私はまだ生き延びている最中です。私はそのすべてとともに生きていかなくてはならないのです」

現在、伊藤詩織さんは29歳である。事件が起こったのは彼女が25歳のときのことで、彼女がフリーランスのジャーナリストとしてのキャリアを開始したばかりの頃だった。彼女がTBSの上層部の山口敬之記者と会ったとき、山口氏は彼女にワシントンでの仕事のポストを得る手助けをすることを申し出た。ある夜、山口氏は就職についての話をしたいということを口実に、彼女を夕食に誘った。伊藤詩織さんは、彼がドラッグを使用し、そして彼の滞在するホテルの一室で目覚めたとき、その男が自分をレイプしていたのだと主張する。山口氏は否認し、彼女が酒を飲みすぎたのだと言って、伊藤さんを非難している。それから加害者を告訴するための、そしてあまり同情的でない捜査員に自分の訴えを聞き入れてもらえるよう試みるための、つらく長い道のりがやって来る。彼女はこの苦難を著書『Black Box』の中で一歩一歩語っている。この著作は、日本で一人の被害者が耐えることになるかもしれない事柄についての、極めて正確な、そして力強い証言である。彼女はこう説明する。「性暴力は私たちの社会に非常に根強く存在しています。 私たちは(性行為の)同意というものについて、一度も教わりません。その上、そのような状況で「ノー」と言うための方法さえも、私たちはそれほど持っていません。私は被害にあったときに気づいたのです。日本語で「やめて」と明確に表現することができないので、英語で彼にやめるよう言ったことに。私たちは自分の言いたいことを聞いてもらうための言葉を与えられておらず、「やめて」と言うための教育を受けていないのです」

以来、伊藤詩織さんは状況を変化させることを望んでいる。彼女は自身の訴えを聞いてもらうため、日本で何度か記者会見を開いた。彼女の目的?それは性暴力に関する法律を変えることである。特に性同意年齢を13歳に定めた法律を。「私が話すことを決めたのは、ジャーナリストとして、真実は当然誰かに届くと思っていたからです。私は、国会が110年間改正されていなかった法律を改正するつもりであったことを知っていました。自身の体験を語ったとき、私は自分がまるでクレイジーな人間のように見られていると感じました。日本では、それほど恥ずかしい体験を語ることを望む女性は、疑いの目で見られていたのです。それからある編集者の女性が、「扉を半ば開けたからには全てを語らなければならない」といって、私にコンタクトしてきました。初め、私は断りました。なぜなら法律は改正されつつあり、私は目的を果たしたと考えていたからです。それから私は、まだ改正すべき多くの点が残っていることを知りました。特に13歳に定められたままの性同意年齢についてです。法律の改正に関して、私たちには2020年まで時間が残されています。ですから私は、自分が書いた本が真の議論のきっかけとなってくれることを期待しています」彼女はそう説明する。

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© Sono Aida


集団で話すこと

日本で、著書の出版は、伊藤詩織さんに現実の非常に重大な結果をもたらした。記者たちは彼女の意見を報じないよう圧力を受け、脅迫は彼女と彼女の家族に重くのしかかり、そのせいで彼女は東京を離れてロンドンに移り住まなくてはならなかった。彼女はこう断言する。「後悔は全くありません。私の告発の少し後に#MeTooムーブメントが海外で起こりました。そして#MeTooのおかげで、多くの人たちが、私が性暴力について話すことを望むたった一人の「クレイジーな」人間ではなかったのだということに気づいてくれたのです。彼らは、「本当の日本人」なら被害について話さないだろうと考えるのをやめたのです」
もっとも、彼女は日本で#MeTooムーブメントを起こすことに役立ったのだろうか?あまりそうとは言えないと彼女は考える。#MeTooは他の形をとったのだと。「私に起こったことを理解されたと思いますが、日本で性暴力について話すことは非常に困難です。法律は私たちを大して守ってくれませんし、多くの女性たちが(告発したことで)職を失うことを恐れています。そこで、私たちは#MeTooの代わりに#WeTooと言うことにしました。性暴力は私たち女性みんなの問題だと示すためにです。日本で成長し、世間の人たちの無知に気づきます。例えば私が高校生のとき、制服を着て電車に乗っていると、毎日痴漢にあいました。誰も私を助けようとはしませんでした。性暴力は学校や職場といった、不均衡な力関係の存在するところではどこでも起こっています。ですから私たちは集団で話すのです」

伊藤詩織さんは、今も自身の事件の不明瞭な部分を明らかにしようとしている。特に、尋問されることになっていた加害者の逮捕が突然取りやめになった理由についてである。2016年7月に検察は事件を不起訴とした。しかし、事件は2017年から民事で係争中である。彼女は説明する。「私は一般の人たちが証拠にアクセスできるよう、この決断をしました。(今後裁判で)私たちが話すことは全て保存されます。他方で彼は反訴をし、100万ユーロ近い金額を請求してきました」そして彼女は、一呼吸置いてからこう続けた。「これは私の請求額の10倍近い額です」4年来続く加害者とのこうしたやりとりの度に、彼女は世間からの注目を浴びる。「その度に同じことを聞かされます。つまり「被害者は笑うものではないだろう」だとか、私が被害者らしく振る舞わないといったことです…。このような型にはまった物の見方すべてに、私はうんざりしています。私が関心があるのは、金銭的な補償ではありません。私は日本の司法システムの欠陥を指摘したいのです」

彼女はドキュメンタリー映画監督としての仕事の中でも、同じように女性の権利と性暴力に関する問題を扱っている。彼女は自身の仕事が、ほかの女性たちが過去にこだわらず前に進み、彼女たちが自身の苦しみについて話すことの助けとなることを期待している。つまり、彼女たちが苦しみに耐えて生き延びるのではなく、本当に生きることができるようにと。(了)

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