「中国のフェミニスム運動の力強さ」Slateフランス版  東アジアの#MeToo特集その1

TEXT by Salomé Grouard 2020.7.22

「Fenminist Voices」が Lü Pinさんの指導の下に動き始めた2009年ごろ、フェミニスムは(中国では)国民的な議論の一部とはなっていなかった。

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北京の女性。2015年7月21日撮影 ©Fred Dufour / AFP

良きにつけ悪しきにつけ、近代中国は毛沢東主義時代の(ときには耐えがたいほど重苦しい)影の中に生きている。現政権はこの歴史を自分たちの利益に変えることを躊躇わないが、彼らは同様に、その社会的遺産とともに生きることを余儀なくされている。文化大革命とその反響により、ひとつの民族全体が、男女平等が国によって支持される社会で生きることが可能となった。しかし、それから約40年後の現在、数字は全く異なる現実を指し示している。

後退

2019年、世界経済フォーラムジェンダーギャップ指数で、中国は153か国中、106位に位置している。つまり、20世紀の下半期のあいだ推奨されていた平等の価値観を、ここに見ることはできない。しかもそれは、改善に向かっていない。中国は、2017年から6つも順位を落としているからだ。
Ye Fanさんは、この変化に驚いていない。なぜなら彼女はその変化を正面から経験し、そこから逃れるために、あらゆることをしたからだ。現在、アメリカ版「ヴォーグ」誌のカメラマンとして活躍する彼女は、上海で生まれ育った。しかし、彼女は上海にすぐに戻るつもりはないという。
「私は33歳で、ニューヨークで暮らしています。独身で子供もいませんが、自分の夢を追いかけています。もし上海にとどまっていたら、すべては大きく異なっていることでしょう」
2016年、Ye Fanさんは中国から離れ、両親とも別れた。両親の理解は得られないままだった。両親は彼女に30歳になる前に結婚することを望んでおり、娘の夢を理解することが難しかったのだ。
「中国では、社会からの、そして家族からの圧力が実に強く、女性が祖国から離れることなく非伝統的な夢を追いかけるのは難しいのです」
資本主義による競争
この社会的圧力は、1970年代の価値体系を思い出させるものではない。しかしそれは、中国でとられた政治的転回点の一つの証である。ポスト社会主義の時代は、国内でのいくつかの資本主義の側面を発展させた。そして同時に、この時代は、家父長制的な価値観と、競争の概念のよみがえりをもたらすものであった。
この二つの結合が、女性たちが若くして家庭を築かざるを得ないシステムを生み出した。そしてそれを確保するために、恥の文化を作らなければならなかった。たとえば、「Leftover Women」としても知られる、「剩女」といった呼び名である。つまりこれは、女性には賞味期限があり、30歳を過ぎると結婚するのによい相手ではなくなることを意味する概念だ。
「何年もの間、両親は私の私生活に干渉してきました。二人は、私の知らない男性たちとのお見合いをセッティングすることに専心していました」と、Ye Fanさんは説明する。
彼女はそのことを自分でも認める。つまり、「(加齢による肉体的変化による)体内時計」のせいで、男子たちよりも、女子たちに対する圧力は強いのである。最近Ye fanさんは、この有名な「体内時計」をコントロールすることを決めた。彼女はニューヨークで卵細胞を凍結保存したのだ。これは中国では未婚の女性にとって、違法な手段である。
「私たちの国は、「未婚の母」という考えを推奨しようとはしません。中国政府は、社会の中での女性の役割に関する彼らのヴィジョンを、私たちがすぐに自分自身に課すよう、私たちに強制しているのです」

儒教のよみがえり

このヴィジョンを課すために、中国共産党は、伝統的価値観を彼らの利点として使おうと試みている。教授でジャーナリストであり、そして中国のフェミニスムに関する二冊の著作のある、Leta Hong Fincher博士は、次のように説明する。
「男女平等は憲法に記載されています。しかし、政府はこれらの道徳的規範を、自分のものと認めていません。儒教的価値体系が、国内のプロパガンダの中でよみがえりを見せています。そしてその儒教的価値観が、女性たちに母として、そして専業主婦としての非常に伝統的な役割に立ち戻るよう、仕向ける政策を生じさせているのです」
これは「孝」の概念で、「親に対する子の忠誠」とも呼ばれるものだ。この概念は、女性たちの従順さ、忠誠、そして母性本能によって、女性たちが家庭がうまく機能するために必要な存在であることを、言外に匂わせている。
「女性たちは、この家族の調和に欠かせない存在なのでしょう。そして、この家族の調和は、民族の安定を保つための基本的なものなのでしょう」と、Leta Hong Fincher博士は説明する。つまり、多くの人たちにとって、これらの価値観が女性たちの解放とは両立しえないものなのは、当然のことなのである。
中国でフェミニスム運動は大きく広がり、これらの運動(の参加者たち)は、この伝統的価値感のよみがえりを非難したいと思っている。Xiong Jingさんは、フェミニスム活動家で、長い間、「Feminist Voices」のエディターを務めていた。この「Feminist Voices」は、2009年から2018年にかけて、国内での男女平等を推進していたNGO団体である。彼女は次のように説明する。
「これらの伝統的価値観が私と同世代の女性たちに訴えかけてくるものは、何もありません。私たちは、文化の変化と一人っ子政策とともに大きくなりました。一人っ子の女性たちは、両親の関心と資力、そして期待と熱望の恩恵に与っています。そのことにこそ価値があることを私たちは知っており、政策などどうでもいいことなのです」

生き延びるフェミニスム

Lü Pinさんの指導の下に「Feminist Voices」が活動を始めた2009年頃、フェニニスムは国民的議論の一部とはなっていなかった。というのも、中国では、東アジアの(また、世界中のほかの地域の)大多数の国々でのように、フェミニストたちは、ヒステリックであるか、過激主義者であるか、あるいはその両方であるとみなされているからである。中国では一般に、「女权主义(フェミニスム)」という軽蔑的な用語が使われており、その訳語の意味は、「女性の権利」と「女性の特権」とのあいだをさ迷っている。しかし、「Feminist Voices」の仕事は、その成果をもたらした。Xiong Jingさんはこう説明する。
「私たちの目的は、議論を万人のものにするために、活動家たちの輪に風穴を開けることでした」
そして、ネット上の検閲の裏をかき、開かれた闘いに寄り添ったかたちで乗り出し、公開のキャンペーンを開始し、中国共産党を直接は批判せず、メディアの注目を引くことで、運動はWeiboで18万人の、そしてWeChatで7万人のフォロワーを獲得することを達成した。
これらの数字は、彼女たちの文脈の中に置き直されるべきである。なぜなら中国では、たくさんの人たちが一つの社会運動をフォローするのは、例外的なことだからである。Hong Fincher博士は説明する。
「このことは、中国政府の暴力的な弾圧でさえ、フェミニスム運動の躍動を止めるには十分でないということです。これは信じられないことです。なぜなら、世界で最も強力な独裁体制の中でさえ、フェミニスム社会運動のための場所が存在するからです。そしてそのことは、希望を与えてくれます」
しかし、たとえそこに希望があろうとも、政府からの返事は暴力的なままだ。

困難は残る

2015年、中国政府は、国際女性デーの折にセクハラを告発するステッカーとフライヤーを配る準備をしていた5人のフェミニスム活動家たちを逮捕し、投獄した。彼女たちは37日間に及ぶ拘留の末、釈放された。
「残念なことに、このフェミニスムは主に漢民族の女性たちにかかわるものです。これまで受けてきた弾圧のせいで、彼女たちは政治的なことを話すことも、自分たちをその中に含むことも、自分に許すことができないのです」Hong Fincher博士は結論付ける。
「中国で稀な社会運動の一つである、このフェミニスム運動。その存続は彼女たちの双肩にかかっているのです。(中国政府が)チベットや香港を自国の領域に含み始めていることや、あるいはウィグル自治区で起こっていることは、運動の死刑宣告に署名をすることとなるでしょう」(了)

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