ミニスカート姿の女子高校生たち 日本の女性尊重の不正確な象徴 Le Monde紙

フェイスブックへのある投稿記事が大きく拡散され、そのことが、あたかも日本が女子高校生たちにとっての自由のモデル国であるかのような錯覚を引き起こしている。この服装が、あらゆる性産業を肥え太らせているというのに。
TEXT by William Audureau 2020.10.13

9月の新学期の始まりに起こった、「クロップ・トップ(へそ出しシャツ)」の問題(訳注: 2020年9月初め、フランス南西部の町の二つの高等学校が、へそ出しシャツやミニスカートを禁止するかのようなポスターを貼りだした。これに反対して、9月14日には多くの女子高校生たちがクロップ・トップやミニスカートを身に着けて登校した)。
幾人かの学校長たちから下品であると判断された、この女性用トップスについての問題をからかうために、ある男性インターネット利用者が、ミニスカート姿の女子高校生の写真を投稿した。日本では若い女性たちが、誘惑的すぎるとみなされるだろう服装をしていても、彼女たちはまったく安全であることを示すために。その男性は、写真に次のようなコメントを付けて投稿した。(参照1)「これが日本の女子高校生たちの制服。日本はこの若い女性たちのレイプをそそのかすような馬鹿な国なのだろうか?俺はそうは思わない。なぜなら全く単純に、日本では短いスカートはレイプの理由となる服装ではないからで、日本人は女性を敬っているからだ」

この投稿は大きな成功を収め、何千ものコメントを集め、何千回もシェアされた。しかし残念なことに、日本についてこの投稿によって指摘されたと思い込まれている事柄は、実際には現実と一致していない。

なぜこれが不正確な反例なのか?

事実、日本はこの投稿文が暗示するような、女性の立場尊重の聖地ではない。

いくつかのサイトで流布した一枚の写真

最初の問題、それは非常に皮肉なものだ。つまりこの写真は、何年も前からいくつかの偏向的なサイトで流布していたのである。本紙は、その足跡を遡ることができる。この写真は、2014年に日本の代替従業員のブログに掲載された。このブログでは、卑猥な写真の中に、テレビゲームの画像から、女子高校生たちの写真のコレクションまでが含まれていた。したがって、日本では制服のスカートに性的な意味を付与することが存在しないわけでは、まったくない。
リヨン第3大学日本学科のJulien Bouvard准教授は、こう言い切る。
「「スカートは性欲を起こさせない中性的な制服で、男性たちの視線に何も思い浮かばせない。なぜならスカートはユニフォームだろうから」というのは、まったくの嘘です。日本にも変質者たちがいますし、ポルノもあります。そしてポルノでは、女子高校生たちの制服が頻繁に扱われています」

日本の、女子高校生たちを性欲の対象化する伝統

ミニスカート姿の女子高校生たちをフェティシシズムの対象化することは、1970年代以来、ポルノグラフィの目録の中で、非常に古典的でありきたりなものでさえある。そしてこの幻想は、制服姿の女子高校生の売春を意味する、「JKビジネス」という産業を生み出した。Nippon.com(参照1)に引用された、東京都の警察の調査によると、2016年には174人の周旋屋が、制服姿の未成年者との料金制デートを客に勧めていたという。
この現象は大きく広がっており、そこで、女子高校生たちを守るための、いくつもの注意喚起キャンペーンが展開された。
「彼女たちが、欲望や極端な性的意味の付与の対象、そして痴漢の的となっていることに皆が気づいています」とJulien Bouvard准教授は強調する。

投稿写真に写っているのとは反対に、女子高校生たちのスカートの丈はもっと長く、多くの場合、脚の下の方まで覆われている。さらに盗撮に対抗するため、日本のスマートフォンは、シャッターを押すときに非常に目立つ音が出るように作られている。マナーモードのときでさえである。
日本文化の専門家であるBouvard准教授は、語気を和らげながらも、最近の“Male gaze”(男性の女性へのまなざし)の後退を指摘する。この、男性の好色な視線は、数多くの文化的創作物に彩りを与えているものだ。
「およそ10年前には、マンガの中では、若い女性たち、若いといっても10代の女性たちですが、そのような女性たちに寄りかかったあけすけな表現が、非常に多く見られたものでした。しかし、現在ではそのような表現はもうできません」

大きな慎重さを持って扱うべき、レイプに関する統計

このフェイスブックへの投稿は、日本では特に女性たちは安全であるだろうことをほのめかしている。特に、性暴力に関しては。日本の公式な数字が、日本が先進国の中で性暴力の発生件数がもっとも少ない国の一つであることを表しているのは確かだ。国連薬物犯罪事務所の調査によると、2016年の人口10万人当たりのレイプの発生件数は、日本が5.6件。フランスが64.1件。そしてスエーデンが190.6件であった。
しかし、日本のこの統計は、明らかに現実を過小評価したものだ。
なぜならまず、日本ではフランスと比べてレイプの定義がより大きく制限されているからだ。例えば、最近まで性器への指や物の挿入はレイプの定義から除外されていた。被害者が驚いて抵抗できない状態や、被害者の無意識状態に付け込んで行われる性的行為が除外されていたのとまったく同じようにである。そして2017年の「ニューズウィーク日本版」の記事(参照2)によると、この日本の公的統計には、20倍の暗数があるだろうという。日本にはタブーの重圧が強く残っている。それだけに「日本では、#MeTooの後にフランスで起こったような、レイプの訴えの急激な増加はなかったのです」とJulien Bouvard準教授は付け加える。
もう一つの理由として、レイプの告訴に当たる警察システムの、構造的抵抗があげられる。プライベートな環境で起こるあらゆる暴力に対して、または証人がいない場合の事件に対して、自白に頼るしかない司法システム。このようなことが、司法の行き詰まりを際立たせている。

著書『Black Box』のなかで、自身のレイプ被害と、日本の司法システムの時代遅れな引っかかりを語った伊藤詩織さん。その伊藤詩織さんによると、警察に助けを求める被害者の割合はわづか4.3%で、被害の訴えの2件に1件しか捜査は行われないという。(了)

(参照1)

(参照2)

(参照3)