伊藤詩織さんロングインタヴュー「出る杭」TEMPURA MAGAZINE Vol.4 2020年冬号 フランス語記事翻訳

聞き手 Emil Pacha Valencia

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©Kentaro Takahashi

「一時間だけなら!」

伊藤詩織さんは多忙だ。#MeToo ムーヴメントの中心的人物となった彼女だが、なにしろ彼女は、メディアでの発言や進行中の複数の訴訟、そしてドキュメンタリー映像作家としての仕事を同時にこなしているのだから。2015年に彼女が受けたレイプ被害は、結局2019年に司法によって認められたが、その事件の余波が今も存在する。しかし、彼女はもう隠れないことにした。
彼女は私たちに一時間だけ時間を割いてくれることになった。セクシャリティについて、有害な男らしさについて、来るべき社会の変化について、そして今後さらに為されるべき仕事について語るために。

「でもインタヴューはキックボクシングの練習の後でお願いします」

言ったように、彼女は多忙だ。
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-伊藤さんは2017年に被害を公表されましたが、それは偶然にもヨーロッパやアメリカで#MeTooが起こった時期と一致していました。そしてあなたの告発は、日本の女性たちの置かれている状況に、新しい光を投げかけるものでした。この3年間で、状況は変わったのでしょうか?

状況は変化したと思います。特にメディアの中では。私は#MeTooが世界中で広がり始める数ヶ月前に声を上げました。日本では当時、状況は進展しておらず、新聞も性暴力事件や差別の問題を、まったく取り上げていませんでした…。しかし、現在では次第に記者たちもこれらの問題を大きく取り上げようとし、この問題についての議論を生み出そうとしています。
特に昨年(2019年)以来、女性たちが沈黙を破り始め、フラワーデモを始めた女性たちもいます。これは今まで想像もしなかったものです。これまで日本にはこのようなデモは存在しなかったのですから。また、日本の女性たちが自分たちの受けた性暴力について話すために街頭で声を上げるということも、日本ではこれまでなかったことです。この集まりのことを、みな「デモ」と呼んでいますが、私はこの集まりを、デモというよりはむしろ、一種のグループセラピーのようなものだと思っています。なぜなら私たちにはこの話を共有する場所がなく、自分たちの話を聴いてくれる人を見つけるのは、とても難しいことだからです。ですからそうですね、人々は声を上げ始め、メディアもその声を聴き始めたといえます。しかし、これは最初の一歩でしかありません。

-次の一歩は法律制定に関するものですか?

日本のレイプに関する法律は1907年に遡り、これは日本が極めて家父長制的な国で、女性たちに発言権のない時代に制定されたものです。それから110年後の2017年にこの法律は改正されましたが、それは不十分なものでした。今では男性のレイプ被害も認められるようになりました。それまでは、男性がレイプの被害に遭うことは想定されていませんでした。今回の改正ではその点が改められました。 しかし、これは非常に重要な問題なのですが、同意の問題については(改正された法律でも)言及されていませんでした。そして実際においては、いくつもの(不当な)判決により、法律を変えるための運動が引き起こされました。その最初のものは、父親が19歳の実の娘を小学生の頃からレイプしていた事件に関するものです。裁判官たちは、被害者が十分に抵抗しなかったとみなしたのです…。想像できますか?この事件では一審で父親に無罪判決が下り、特にSNS上で憤りの波が起こりました。結局、高裁は父親の有罪性を認めました。そして、この判決は判例となるはずです。フラワーデモと#MeToo、そして日々活動を続けるこれらすべてのグループの影響で、立法者は同意の問題の見直しを検討しています。そして初めて、法改正検討会のメンバーに女性たちが選ばれたのです。ですからそうです、状況は変化しています。そして問題がより目に見える形となった今、私たちはもうそれを、見て見ぬふりすることはできません。

-つまり、どちらかといえば大衆や活動家たちの側から変化はもたらされているようなのですね。しかし、彼らは政治的、制度的なレヴェルで支援を受けることができているのでしょうか?

残念なことに、与党からの支援はありません。どちらかというと与党は保守的ですから。また残念なのは、レイプや性差別の問題は政治的な問題ではないとみなされることです。これは、左派あるいは右派の協議事項についての話ではありません。これは人間の尊厳の問題なのです。つまり誰もが暴力を受けたくないと思っており、政治方針など問題ではないのです。この問題を党派を超えて、より水平的な仕方で議論してもらえたらと思います。しかし、問題は構造的なものです。日本はまだ非常に家父長制的な、そしてタテ社会の国のままです。麻痺しているのはピラミッドの頂点ではなく、むしろその全体なのです。そしてこの家父長制は、学校、メディア、そして家族といったあらゆる場所に根を張っています…。ですから、単に法律を変えたり、新しい国会議員を選んだりすればいいということではありません。つまり、この構造を打ち破るために、教育に関してなされるべき大きな仕事が残されているということです。

-それはつまり、主に学校で行われる教育的な仕事ということですね。

一つ例を挙げます。日本の教育指導要領には、教師が出産について教える際には、受精についての段階から教えなければならないことが、はっきりと書かれています…。そして、その出産についての教育は、10歳以前にはなされません。つまりそれは、受精の前に何が起こるかについては話されず、また、性や妊娠の問題には一度も言及されず、そしてそのせいで多くの子供たちが、性教育についての大きな知識の如を抱えたまま中学生になることを意味しています。この中学生の年齢というのが、まさに彼らが自分たちの性を発見し始める年頃であるにもかかわらずです。もちろん、この年頃の性的行動は賢く、よく考えられた仕方で導かれなければならないものです。しかし反対に、この問題にふたをし、タブー視してしまうことは、解決にはなりません。性行為について話さないで、どうして例えば、同意や性欲の概念について理解することができるでしょうか?また全く単純に、性病による危険性についてや、性病を防ぐためにコンドームの正しい使い方を知るといった概念を理解できるでしょうか?というのも、性教育とは単に性行為についてだけではなく、男女間の関係、尊敬、共感、そしてお互いの違いを理解することを学ぶものだからです。要するに、それは私たちの人間性の本質に当たるものなのです。私たちが子供の頃には、単に「気をつける」ように言われるだけでした。それはまるで少し、性的行動が何か危険をもたらすかのような言い方でした。また、学校で性教育を受ける際に、男子と女子とで別々の部屋に分けられたのを覚えています…。このような条件下で、性が相互補足的な、そして対立のない形で構築されることを、どうして理解することができるでしょうか?日本ではこの点に関して、いくつもの大きな欠陥があります。そして、違うことを試みる教師たちは指弾されます。

-戦線を動かすために、行動を起こす団体はあるのですか?

ええ、いくつかの団体が、自分たちの声を聞いてもらうことを始めています。特に、学校に性教育ジェンダーに関する本を贈ることによってです。また最近、一人の大学生が、イラスト入りの性教育教材を印刷したトイレットペーパーの製作の提案をする、スタートアップを開始しました。これらの小さな率先行動は必要なものですが、残念ながら十分ではありません。本当の変化が起きるためには、共同体や家族が性について教え、性教育をタブーにしないという気持ちを持たなければなりません。しかし、日本はまだそのような段階にはありません。

-先ほどあなたは、これらの性教育の面での欠如が、特に性的同意の認識に関しての重大な結果をもたらす可能性があるとおっしゃいましたね。

私は、この適切な性教育を受けていない世代に属しています。2015年にレイプの被害に遭ったとき、私はそのことにどう対処したらいいかわかりませんでした。私はその頃、作家の松野青子さんについての記事を執筆していました。特に家父長制と、日本で「おじさん」と呼ばれるものを扱った彼女の本についての記事です。この「おじさん」というのは、訳すのが難しい用語です。というのも、これは特に、年齢区分に必然的に関わりのあるものではなく、むしろメンタリティや文化に関わりのあるものだからです。この青野さんの本は、とても読むのがつらいものです。なぜなら、もしあなたが日本で生活する女性だったら、あなたが日本で生き延びるためには、この性差別的で家父長制的な文化から逃れようと試みるしかないことを、この本はあなたに気付かせるからです。レイプの被害に遭う以前にも、私は電車内やプールで性的攻撃の被害に遭っていました。しかしその当時は、誰も私たちに被害届を出しに行くべきだなどとは言ってくれませんでした。なぜなら、被害届を出すためには学校を休まなければならないし、それからどうせ、警察も何もしてくれないだろうと…。そのようなメンタリティは、日常の中に根を下ろしているもの、「普通」のものでした。そして私たちはトラウマを抱えながらも、笑顔で前に進まなければなりませんでした。したがって私はこの「沈黙は普通のこと」というメンタリティをすっかり取り込んでおり、そのメンタリティは、レイプの被害に遭ったときにも、私の中に奥深く根付いていました。そのためレイプの被害に遭ったあと、「しょせんこの業界なんてこんなものか。でも、これからどうしたらいいの?」と自分の中で考えてしまっている部分もあったほどでした。最終的に私は沈黙しないことを選び、今度は性暴力を見逃さないことにしました。しかし、多くの女性たちがそのことを感じたのは確かです。

-伊藤さんは沈黙を守ることよりも、むしろ行動することを選ばれたのですが、何があなたをそうさせたのですか?

海外での経験が、自分の国を違う視点で見つめさせてくれたのだと思います。そしてその海外での経験のおかげで、他の可能性があることに気づくことができたのだと思います。しかし、子供の頃から日本だけで暮らしていたら、このシステムの中で身動きが取れず、そのためまったく単純に、沈黙するのは普通のことだと結論付けてしまっていたと思います。私は他の人よりも強くなどありません。ただ私は、運良く他のコンテクストに直面することができただけです。そのコンテクストとは、地下鉄内で何も言わず無抵抗で痴漢に遭うのは当然のことではないこと、そしてもちろん、少女がビキニを着ているからといって、公共プールで男性から体を撫で回されるのは当然のことというわけではないというコンテクストです。

-あなたが声を上げた後、たくさんの女性たちが、今度は自分たちが声を上げる番だという力を与えられています。メディアではあなたは常に#MeTooムーヴメントと結びつけて語られ、最近ではタイム誌の世界で最も影響力のある100人に選ばれました。そこで今日、一種の責任のようなものを感じていらっしゃいますか?

私は#MeTooのラベルを貼られましたが、実は私自身は一度もこの言葉を使っていません。私の名前に、たくさんのラベルが貼られました…。しかし、人によってそれぞれ事情は異なると思います。私がこのような行動を取ったからといって、必ずしも私と同じように行動しなければならないとは限りませんし、このような闘いを始めなければならないとは限りません。また私は、自分のように行動することを勧めたくないとさえ思っています。それはとてもつらく、暴力的なことだったからです。最も大切なのは、行動指針を決めることではなく、それよりもむしろ、各人が自分の生き延びる方法を見つけることだと思います。ある人にとって、その方法とは悲しみに暮れることかもしれませんし、またある人にとっては闘うことかもしれません。裁判の後、その判例が将来のケースに影響を持つかもしれません。ですからそうですね、私は気をつけなければなりません。それは一種の責任のようなものです。たとえ、時にはただ叫びたくなったり、胸につかえているものを表現したいと思うことがあるとしても。

-声を上げるのはとてもつらいことだったとおっしゃいますが、あなたはそのことを後悔されているのですか?

そうは思いません。それが私の生き延びる方法でした。しかし、周囲の人たちからのたくさんの圧力を感じていました。特に訴訟を始めたときには。長い間、私は自分の言葉や発言の一つ一つをコントロールしなければなりませんでした。そして何か発言をする度に、脅迫や侮辱の言葉を受け取っていました…。そのせいで、帽子とサングラスなしで外出することさえ怖くなりました。しかしある時、私は単純に以前のように自分らしく生活し、もう変装はやめようと決めました。そしてもしかすると、単純に自分らしく生きることが、もう自分にどんなラベルも貼られないことにつながるのかもしれないと思っています。

-ときにはあなたは朝鮮人だと言われたことさえありました…。

それは侮辱としてまったくナンセンスです!私は今ちょうど川崎から戻ってきたところです。川崎では在日朝鮮人に対するヘイトデモが行われています。2020年のこの時代にもまだこのようなデモが組織されていることが、私には理解できません。それは教育が欠けている結果だと私には思えます。ドイツと違って、私たちは世界大戦後の歴史教育が徹底されていません。そして、日本で増大するネット右翼の数が、そのことを証拠立てています。嘘が大きく拡散されれば、ー私に関する事実でない情報も数多くありましたがー 最後には疑念が生み出されます。そして疑念の蓄積は、代替的事実を生み出します。それがフェイクニュースの作用の仕方です。私たちは情報が操作されうる時代、そして事実が簡単に矛盾してしまう時代に生きています。これは恐ろしいことです。

-最近、杉田水脈議員(原注 自民党の議員)が、レイプの問題に関連して、「女性はいくらでもウソをつくことができる」と発言しました。伊藤さんは女性たちから、声を上げたことに対して多くの批判を受けたのでしょうか?

私が本を出したとき、それは#MeTooムーヴメントの真っ只中のことでしたが、最初に受け取ったのが、ある女性からのEメイルでした。それは、私の働きかけを批判する内容のものでした。ショックでした。また私は、今もまだ同じようなメッセージを受け取っています。BBC放送のインタヴューで、杉田水脈さんは、女性として男性社会の中で苦労を味わったことを語っています。質問に答える前に、彼女は長い間を取りました…。それは、見るのがとてもつらい瞬間でした。なぜなら私は知っているからです。彼女が経験したこと、そして彼女が感じたことを。しかし彼女は、違う生き延びる方法を選択しました。そして、彼女は自分自身が作り上げた、そのような人物になったのです。ですから私は、ある意味では理解できます。家父長制的構造はとても強固で、女性たちは、その構造を自分たちの中に取り入れています。そしてそうすることが、彼女たちの生き延びる方法なのです。また、妹が高校を卒業するときにこう言ったのを覚えています。「なんてこと、これで私は女子高校生の純真さを失ってしまうんだ」と。妹が、自分の最良の時代が自分の後ろにあると考えていることに、私はショックを受けました!女らしさはこの少しかわいく無邪気な青春時代によって定義されることや、女らしさは20歳を過ぎれば必然的に失われてしまうという考えを彼女たちは吹き込まれています。そして、そのような考えを彼女たちに吹き込んでいるのは、メディアなのです。そのことは、数え切れないほど多くの女性誌が「モテ」という用語を使っているのを見ればわかります。この用語は「魅力的な、気を引く」と訳すことができるのですが、私はこの用語を見ると、鳥肌が立ってしまいます。「モテファッション」、「モテメイク」というものまであります…。そしてこれらの雑誌は、若い女性たちがモテるためにはどのように振る舞い、オシャレをし、化粧をすればいいかを、彼女たちに教えているつもりでいます。そしてこれらの雑誌が、私たち女性の体に賞味期限を付すことによって、私たちの体の価値を決めているのです。最近ある有名雑誌が、今後はこの「モテ」という言葉を使わない立場を取りました。これは一つの進歩です。

-この永遠の青春、処女性、無邪気さといったものも、たとえばAKB48のようなアイドルグループが褒め称えているものではないのですか?

もちろんです!しかし誰がこのようなアイドルグループを生み出したのでしょうか?私にはわからないので、ここでは男性たちだということしかできません。プロデューサーの秋元康さんが、グループの歌詞のほとんどを作詞しています。62歳の彼はそのようにして、処女性をどう生きるか、女の子たちが攻撃を受けながらもどのように前進するかといったことを説明しています。AKB48と同じような人気グループが若い女の子たちの世代に対して持つ影響力に、彼は気づいているのでしょうか?彼が最初にプロデュースした1980年代のグループ、おニャン子クラブに、「セーラー服を脱がさないで」というヒット曲があります。歌詞は女子高校生たちの処女性にまつわるもので、処女をどうあっても守ることと、年をとりすぎる前に処女を捧げたいという思いとの間の、いわゆる葛藤を描いたもので、聴いていて怖くなるような歌です。ところでつい最近、AKB48が、元おニャン子クラブのメンバーと共演し、一緒にこの歌を歌ったのです。歌詞よりもさらにショックだったのは、「こんな歌を歌ってはいけないでしょう」と声をあげる人が誰もいなかったことです。こうしてお話ししている今もなお、この信じられない曲が、日本中のラジオから流れているのです。

-家父長制的構造の変化は、日本での「男らしさ」の変化を前提としているように思われますが、伊藤さんはこの変化が若い世代の男性たちによってもたらされるとお考えですか?

状況は少しづつ変化しています。しかし、ある構造について話をしましょう。先日私は、大学生たちの前で講演をしました。そしてそのうちの多くの学生がどれほど保守的であるかを目の当りにして、ショックを受けました。しかし、この構造の中にきっと組み込まれるに違いないのは、そのように保守的な学生たちなのです!あなたが会社で働いていると仮定しましょう。あなたはその会社の中でなんとか振る舞うことを期待され、ある種の考えを共有し、そしてある種の振る舞いを自分のものとして取り入れることを期待されます…。そして生き延びるために、あなたは最後には、システムにとって不可欠なパーツの一つとなってしまうのです。さもなければ、あなたはシステムによって排除されてしまいます。あなたはこの有害な男らしさを取り入れなければなりません。そうしてあなたは、このシステムの再生産に加わることになるのです。要するに、男性たちにとって好都合な、このシステムの再生産にです。ですから、構造を打破するには一世代だけでは不十分だと思います。

-セクシャリティの問題に戻りたいのですが、あなたが声を上げたときに、性について、つまりプライヴェートなもので、タブーである性についてあなたが話したことに、多くの人たちが衝撃を受けました。このことは、性産業が同じく重要で目に見える形で存在する日本で、逆説的な現象に思われるのですが。

なぜなら性産業は男性たちの視点から作り上げられているからです!それは決して女性たちの視点からは作られていません。女性たちの視点は常に無視されていたのです。しかしそれは、今に始まったことではありません。二十世紀初めの女性作家で、日本で初めての女性による文藝誌を創刊した、平塚らいてうという作家がいます。彼女は妊娠中絶や女性の権利、そして男女不平等についての文章を、数多く書いています。しかし悲しいことに、その当時から現在もあまり状況が変わっていないのを認めざるを得ません。つまり、女性たちは自分のセクシャリティを恥じ、そして男性たちに服従しているものとみなされているのです。つまり、同意の下に行われる性行為の際に女性が「やめて」と言うのは普通のことであり、珍しくもなく、さらには同意のある性行為の際に「いや」と言うことが、女性には期待されてもいるのです。そしてそれは日本のポルノが前面に押し出していることであり、多くの若い子たちが、適切な性教育を受けていないために、ポルノによってセックスを学んでいるのです。私はつきあった男性には自分の性生活や生理について、そして体の変化について話します。もっとも、ときにはそのことで相手がショックを受けることもありますし、私が相手の無知や性差別に気付いた時には、そのことでケンカになることもあります。それでも私は、このようにお互い教えあうべきだと思います。私の友人にも、彼らが既得権と取り違えているこの家父長制システムというとりもちに捉えられ、身動きが取れなくなってしまっている男性たちがいます。そして、そのことに気づくたびに私はいつも驚いています。

-性暴力被害者たちへの支援に関して、法律や行政のレヴェルで、何か改善された点はありますか?

どちらとも言えません。告訴を望みながらも、警察から追い返される女性たちの話をいまだに耳にします。それでも、以前はレイプは親告罪でしたが、2017年からはそうではなくなりました。またついに、すべての都道府県に性暴力の受け入れセンターが作られました。以前は、すべての都道府県にこのようなセンターがあるわけではありませんでした。モーニングアフターピルに関しても、ピルを薬局で自由に手に入れられるようにするための大きな動きが、ネット上で起りました。というのも、現状では、モーニングアフターピルを手に入れるためには医師の処方箋が必要で、個人情報や、ピルを必要とする理由を提示しなければならないからです。その上、価格も非常に高く、このようなことすべてが、多くの若い女性たちの前に大きな壁として立ちはだかっているのです。ところで、ご存知ですか?日本医師会が-医師会はほぼ男性のみで構成されているのですが-モーニングアフターピルの自由化に反対したことを。信じられますか?中絶の苦しみも、望まない妊娠の苦しみも決して味わうことのない男性たちが反対しているのです。それはさらに、女性の体についてのコントロールを残す方法でもあります。

-チカンの問題が時折ニュースになります。加害者は性的な幻想よりも、相手を支配するため、主張するため、さらに先ほどの話にあったように、女性の体をコントロールするために犯行に及ぶのだとあなたはおっしゃいます。

チカンの加害者たちに、どのようにその標的を選んでいるかを尋ねる、匿名でのアンケートが実施されました。そこでは彼らが、「純情そうな」、「弱々しい様子の」、「自信のなさそうに歩いている」女の子を犯行の対象に選んでいることがわかっています…。最近私は、痴漢行為をする人たちの治療に当たっている男性精神科医を取材しました。そしてその時に、痴漢行為をする人たちは、特に自分たちが会社などで、ある種の克服しがたい支配関係に直面した日に痴漢行為をしているという説明を受けました。もっとも、具体的にどのような支配関係に直面したのか、その男性たちは答えることができませんでしたが。例えばそれは、雇い主や同僚からの支配だったのか…。

-それはつまり、支配の連鎖ということですか?

そう思います。しかし結局、話は性教育の問題に戻ります。自分がどのような人間かを知り、その自分を受け入れるという問題にです。

-もしそれでも今、あなたにラベルを付さなければならないとしたら、それは「活動家」ですか?それとも「ジャーナリスト」ですか?

今朝、私はカフェで仕事をしていました。そこで目の前を通り過ぎていく人たちがみなグレーや黒の同じようなスーツを着ているのを見て、気が滅入りました…。日本語には「出る杭は打たれる」という言い回しがあります。私たちは集団に従い、命令を聞き、世間に波風を立てないようしなければならないと教育され、そして自分を定義するために、必ず自分を型枠にはめ込まなければなりません。しかし、私にはこの概念が受け入れられません。私は伊藤詩織です。私は物語の語り手です。ところで、私はこう思うんです。私は多くの批判を受けましたし、多くの嫌悪を引き起こしましたが、それは、私が誰も話さないだろうことを敢えて話し、自分の個性を発揮することで、型枠にはめ込まれないことを決めたからなのだと。しかし、幸運なことに、私はこのムーヴメントの中で一人ではありません。私はこのムーヴメントに火をつけた、他にも数多く存在する火花のうちの、ひとつにすぎないのです。(了)