自身のレイプ被害を語ることで、伊藤詩織さんは日本で#WeTooムーブメントを起こした CHEEK MAGAZINE

TEXT by Pauline Le Gall 2019.4.24

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© Hanna Aqvilin


若いジャーナリストである伊藤詩織さんは、著書『Black Box』を出版した。この本は2015年に起こった、自身の性暴力被害についての物語である。彼女は著書の中で、性暴力とその被害者たちに対する日本社会の関わり方を詳細に分析している。
非常に困難な出来事を経験し、その出来事について頻繁に語らなければならなかった人物との対談を、どのようにして始めれば良いのか、そのことを知るのは難しい。日本のメディア業界の著名人である山口敬之からレイプの被害にあってから、伊藤詩織さんは個人的な要求を傍に置いて、自身に起きた出来事を日本で、そして世界中いたるところで伝えることを自らの使命とした。2015年に起こった事件以来、彼女は日本で記者会見を数回開き、また、著書『Black Box』を執筆した。そして彼女は世界中で著書が翻訳される度、その地を訪れている。私たちは彼女にまったく単純に、調子はどうかと尋ねることにした。彼女は微笑み、しばらく沈黙したのち、「どうでしょう」と二度繰り返した。それから彼女は、二つの自己に語らせるままにして話し始めた。この二つの自己は、彼女の声の中に対話中ずっと混じるものだった。それはつまり、自身の事件を細かく描写し分析することに慣れたジャーナリストとしての自己と、「この試練はいつ終わるのだろうか」と自問する、シーシュポスのようなトラウマを絶えず力強く語り続ける、サバイバーとしての自己である。

伊藤詩織さんはこう説明する。「私は良くなっています。私の事件以来、物事が変化し、社会が変わったことを嬉しく思っているからです。しかし、絶望を感じるときもあります。特に日本に戻ったときにです。先週、初めて桜が満開の時期に日本に戻りました(著者注、彼女は現在ロンドンで生活している)。そして私は、自分がどんなにこの時期を避けていたかということに気づきました。なぜなら満開の桜を見ることは、事件の起こった4月のその夜に私を引き戻し、トラウマを引き起こしていたからです。世間は私のことを「サバイバー」といいます。しかし、私は自分のことを生き延びたとは思っていません。私はまだ生き延びている最中です。私はそのすべてとともに生きていかなくてはならないのです」

現在、伊藤詩織さんは29歳である。事件が起こったのは彼女が25歳のときのことで、彼女がフリーランスのジャーナリストとしてのキャリアを開始したばかりの頃だった。彼女がTBSの上層部の山口敬之記者と会ったとき、山口氏は彼女にワシントンでの仕事のポストを得る手助けをすることを申し出た。ある夜、山口氏は就職についての話をしたいということを口実に、彼女を夕食に誘った。伊藤詩織さんは、彼がドラッグを使用し、そして彼の滞在するホテルの一室で目覚めたとき、その男が自分をレイプしていたのだと主張する。山口氏は否認し、彼女が酒を飲みすぎたのだと言って、伊藤さんを非難している。それから加害者を告訴するための、そしてあまり同情的でない捜査員に自分の訴えを聞き入れてもらえるよう試みるための、つらく長い道のりがやって来る。彼女はこの苦難を著書『Black Box』の中で一歩一歩語っている。この著作は、日本で一人の被害者が耐えることになるかもしれない事柄についての、極めて正確な、そして力強い証言である。彼女はこう説明する。「性暴力は私たちの社会に非常に根強く存在しています。 私たちは(性行為の)同意というものについて、一度も教わりません。その上、そのような状況で「ノー」と言うための方法さえも、私たちはそれほど持っていません。私は被害にあったときに気づいたのです。日本語で「やめて」と明確に表現することができないので、英語で彼にやめるよう言ったことに。私たちは自分の言いたいことを聞いてもらうための言葉を与えられておらず、「やめて」と言うための教育を受けていないのです」

以来、伊藤詩織さんは状況を変化させることを望んでいる。彼女は自身の訴えを聞いてもらうため、日本で何度か記者会見を開いた。彼女の目的?それは性暴力に関する法律を変えることである。特に性同意年齢を13歳に定めた法律を。「私が話すことを決めたのは、ジャーナリストとして、真実は当然誰かに届くと思っていたからです。私は、国会が110年間改正されていなかった法律を改正するつもりであったことを知っていました。自身の体験を語ったとき、私は自分がまるでクレイジーな人間のように見られていると感じました。日本では、それほど恥ずかしい体験を語ることを望む女性は、疑いの目で見られていたのです。それからある編集者の女性が、「扉を半ば開けたからには全てを語らなければならない」といって、私にコンタクトしてきました。初め、私は断りました。なぜなら法律は改正されつつあり、私は目的を果たしたと考えていたからです。それから私は、まだ改正すべき多くの点が残っていることを知りました。特に13歳に定められたままの性同意年齢についてです。法律の改正に関して、私たちには2020年まで時間が残されています。ですから私は、自分が書いた本が真の議論のきっかけとなってくれることを期待しています」彼女はそう説明する。

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© Sono Aida


集団で話すこと

日本で、著書の出版は、伊藤詩織さんに現実の非常に重大な結果をもたらした。記者たちは彼女の意見を報じないよう圧力を受け、脅迫は彼女と彼女の家族に重くのしかかり、そのせいで彼女は東京を離れてロンドンに移り住まなくてはならなかった。彼女はこう断言する。「後悔は全くありません。私の告発の少し後に#MeTooムーブメントが海外で起こりました。そして#MeTooのおかげで、多くの人たちが、私が性暴力について話すことを望むたった一人の「クレイジーな」人間ではなかったのだということに気づいてくれたのです。彼らは、「本当の日本人」なら被害について話さないだろうと考えるのをやめたのです」
もっとも、彼女は日本で#MeTooムーブメントを起こすことに役立ったのだろうか?あまりそうとは言えないと彼女は考える。#MeTooは他の形をとったのだと。「私に起こったことを理解されたと思いますが、日本で性暴力について話すことは非常に困難です。法律は私たちを大して守ってくれませんし、多くの女性たちが(告発したことで)職を失うことを恐れています。そこで、私たちは#MeTooの代わりに#WeTooと言うことにしました。性暴力は私たち女性みんなの問題だと示すためにです。日本で成長し、世間の人たちの無知に気づきます。例えば私が高校生のとき、制服を着て電車に乗っていると、毎日痴漢にあいました。誰も私を助けようとはしませんでした。性暴力は学校や職場といった、不均衡な力関係の存在するところではどこでも起こっています。ですから私たちは集団で話すのです」

伊藤詩織さんは、今も自身の事件の不明瞭な部分を明らかにしようとしている。特に、尋問されることになっていた加害者の逮捕が突然取りやめになった理由についてである。2016年7月に検察は事件を不起訴とした。しかし、事件は2017年から民事で係争中である。彼女は説明する。「私は一般の人たちが証拠にアクセスできるよう、この決断をしました。(今後裁判で)私たちが話すことは全て保存されます。他方で彼は反訴をし、100万ユーロ近い金額を請求してきました」そして彼女は、一呼吸置いてからこう続けた。「これは私の請求額の10倍近い額です」4年来続く加害者とのこうしたやりとりの度に、彼女は世間からの注目を浴びる。「その度に同じことを聞かされます。つまり「被害者は笑うものではないだろう」だとか、私が被害者らしく振る舞わないといったことです…。このような型にはまった物の見方すべてに、私はうんざりしています。私が関心があるのは、金銭的な補償ではありません。私は日本の司法システムの欠陥を指摘したいのです」

彼女はドキュメンタリー映画監督としての仕事の中でも、同じように女性の権利と性暴力に関する問題を扱っている。彼女は自身の仕事が、ほかの女性たちが過去にこだわらず前に進み、彼女たちが自身の苦しみについて話すことの助けとなることを期待している。つまり、彼女たちが苦しみに耐えて生き延びるのではなく、本当に生きることができるようにと。(了)

www.lesinrocks.com

「世界の声 伊藤詩織さん」 France2 Télé Matin フランス語動画翻訳

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2019.4.23

男性司会者: 少し難しいテーマを取り上げます。私たちは極めて勇気ある、一人の日本人女性ジャーナリストに敬意を捧げます。そこで、私は言葉を選んで話すことにします。彼女のことを語っていただけますか?

女性司会者: ええ、なぜなら彼女は勇敢にも日本のレイプのタブーを打ち破ったのです。そして、それはまったく例外的なことです。なぜなら被害を報告する日本人女性は、ほとんどいないからです。そして、そのようななかであえて被害を報告する女性は、非常に大きなリスクを冒すことになります。それは彼女や、家族にとって恥ずかしい事とみなされるからです。性暴力の被害に遭った人たちは、「嘘をついている」、「十分に身を守らなかった」、「男を誘惑したのだ」といった風に非難されます。つまり、結果的に被害を受けた彼女たちが悪いとされてしまうのです。もし彼女たちがレイプされたら、被害にあった彼女たちが悪いというのです。

男性司会者: こんなことを言って申し訳ないのですが、わざわざ日本に目を向けなくとも、そのようなことはあちこちで、フランスでもよくあることではないのですか?

女性司会者: 特に日本ではそのような状況があり、それは日本特有のものです。なぜならその上、警察や司法も加害者に対して非常に寛大な態度を見せるからです。いいですか、それはつまり女性たちが発言することはとても大変で、性暴力についてオープンに話すことは難しいということなのです。しかし、声を上げることのできた女性が一人います。それが伊藤詩織さんです。彼女は30歳になるかならないかの若いジャーナリストで、自らのレイプ被害を記者会見で公然と打ち明けました。また彼女は加害者の名前を出すこともしました。実は加害者は国営テレビ局(ママ)の重要人物で、日本の首相に非常に近い人物でした。そしてこのことが事件をより複雑にしました。なぜなら、加害者の逮捕が最後の最後で取りやめになったからです。これからご覧いただくのは、非常に驚くべき証言です。伊藤詩織さんについて、理解していただけると思います。ご覧ください。

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伊藤詩織さん: 日本では性暴力はまったくのタブーでした。性暴力の被害にあったとき、それは恥ずかしいこととみなされるのです。もし法律のシステムがより有効で、社会的な支援もあれば、私が性暴力について話す必要もなかったでしょう。しかし、私は法律や社会のシステムに大きな欠陥があることに気づき、自分がこのことについて話さなければならないと感じたのです。そして私は激しい反発を受けました。私や私の家族も脅迫を受け、私は非常に強い孤独を感じていました。世間の人たちは、なぜ私がこの話をしているのか理解していなかったのです。しかし私はジャーナリズムと真実に対する希望を持っていました。どれだけかかるか、ひょっとすると何十年かかるかわかりませんでしたが、声を上げることで、私のことを誰かに聞きいれてもらえるだろうことは知っていました。
性暴力の被害に遭われた方たちからの、メッセージを受け取りました。そして自身の被害を、ときには何年ものあいだ誰にも話すことができず、また助けを求めることもできなかった人が沢山いることに、ショックを受けました。特に日本ではこのような状況なのです。

通りを歩いていると、たくさんの人たちが、自分の体験を話すために私のところに来てくれます。しかし日本では、そうすることは規則に適った正しいことではないのです。ですから初めの頃は、性暴力は話すことのとても難しい話題だったのです。しかし#MeTooムーブメントが起こったおかげで「ニューヨーク・タイムズ」が私の事件を取り上げてくれ、日本のメディアも多くの場合はそうでした。このように世界中に響き渡る#MeTooの声のおかげで、私は一人ではないと感じることができました。他の多くの被害にあわれた方たちにとっても、それは同じだったと思います。#MeTooのおかげで、私たちは一緒に立ち向かうことができたのです。日本で#MeTooと言うのは危険なことです。ですから私たちは#WeTooと言うことにしました。「私たちも」という意味です。
もうこの問題を無視することはできません。なぜなら次はあなたやあなたの娘、またはあなたの愛する人が、同じ目にあうかもしれないからです。ですから性暴力を止めることは、私たちの問題なのです。もしかすると、それは勇気のいることかもしれません。しかし声を上げること、それは何よりも私たちの基本的で重要な権利なのです。

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男性司会者: ポジティブな側面…、それは、たとえ今のところ何も解決していないのであっても、それでも彼女の話の中には、いくつかのポジティブな面があることです。

女性司会者:彼女が実際に、他の女性たちに話す勇気を与えることができたのは確かです。そしてそれはとても重要なことで、日本のような国での非常に大きな一歩なのです。Picquier社から彼女の著書『Black Box』が出版されています。じつは伊藤詩織さんは今も正義を求め続けています。というのはもちろん、事件はまだ終わったというには程遠いからです。(了)

www.youtube.com

「ジャーナリストの伊藤詩織さんが、レイプ事件の民事訴訟で支援を受ける」 Sumikai ドイツ語記事翻訳

TEXT by Iliana Redman 2019.4.13

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© Open the BlackBox


Am 10. April wurde eine Gruppe gegründet, die die Journalistin Shiori Ito bei ihrer Zivilklage gegen einen Mann unterstützt, der sie vergewaltigt haben soll. Ihren Angaben nach fand die Vergewaltigung im Jahr 2015 statt.

(2019年)4月10日、ジャーナリスト伊藤詩織さんの民事裁判を支援する団体が創設された。この民事訴訟は、伊藤さんをレイプしたとされる男性に対するものだ。彼女によると、レイプ事件は2015年に起こったという。

Die Gruppe nennt sich „Open the BlackBox„. In Japan werden Taten wie Vergewaltigung nur sehr zurückhaltend untersucht und die Gerichtsverfahren ziehen sich oftmals lange hin und werden hinter verschlossenen Türen abgehalten. Im Oktober 2017 veröffentlichte die Journalistin Shiori Ito ein Buch über ihre Erfahrungen, das ebenfalls den Titel Black Box trägt.

この団体の名は、“Open the Black Box”である。日本ではレイプのような犯罪の場合、捜査が非常にためらわれ、裁判手続きも多くの場合は時間がかかり、透明性を欠いた形で行われる。2017年10月、ジャーナリストの伊藤詩織さんは、自身の体験を綴った著書、『Black Box』を出版した。

Shori Ito, 29 Jahre alt, verlangt 11 Millionen Yen (87.000 Euro) von einem ehemaligen Reporter von Tokyo Broadcasting System Television Inc. (TBS). Die Journalistin behauptet von dem Mann in einem Hotel in Tokyo vergewaltigt worden zu sein. Die beiden hatten vorher zusammen gegessen, danach wurde die Frau ohnmächtig. Die Staatsanwaltschaft will die Klage wegen mangelnder Beweise nicht zulassen.

29歳の伊藤詩織さんは、TBSの元記者の男性に対し、1100万円(8万7千ユーロ)の損害賠償金を請求している。伊藤さんは、この男性から、東京のホテルの一室でレイプされたと主張している。事件の前夜、2人は夕食をともにし、その後、彼女は意識を失ったのであった。しかし、検察は証拠不十分として、彼女の主張を認めていない。

Ein Untersuchungsausschuss der Staatsanwaltschaft entschied deswegen keine Anklage zu erheben. Ito und ihre Anwälte reichten daraufhin eine Zivilklage ein. Ito sagt, dass viele Vorgänge bei Gerichtsverfahren mit sexuellem Hintergrund für die Opfer eine „Black Box“ bleiben, von denen sie nichts erfahren. Die Journalistin möchte durch ihre Zivilklage diese Aspekte der Polizeiarbeit ans Licht bringen.

また、検察審査会も事件を不起訴相当とした。そのため、伊藤さんと弁護団は、民事での訴えを提出した。伊藤さんによると、これらの数多くの性犯罪の裁判プロセスは、被害者たちの知りえないところで進行し、被害者たちにとって、「ブラック・ボックス」のままであるという。彼女は、今回の民事裁判を通して、警察の集めた証拠に光が当てられることを望んでいる。

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© Open the BlackBox


An einer öffentlichen Sitzung von „Open the BlackBox“ am 10. April nahmen etwa 150 Personen teil. Dabei redeten die Mitglieder über die Ziele ihrer Organisation. Anwälte berichteten vom abgeschlossenen Verfahren, das seit einer ersten mündlichen Anhörung im Dezember 2017 lief. Sie sagten auch, dass der TBS-Reporter im Februar 2019 eine Gegenklage anstrebte. Er fordert von der Journalistin 130 Millionen Yen (1 Million Euro) Schadensersatz. Außerdem forderte der Mann eine öffentliche Entschuldigung.

この日開かれた“Open the Black Box”の発足集会には、およそ150名が参加した。そして、メンバーたちからの、組織の目的についてのスピーチが行われた。また、弁護団からは、2017年12月の最初の口頭弁論以来の、伊藤さんの民事訴訟手続きについての報告もなされた。弁護団によると、このTBSの元記者の男性は、2019年2月に反訴をし、伊藤さんに対し、1億3千万円(100万ユーロ)の損害賠償金の支払いと、その上さらに、公開での謝罪を要求しているという。(了)

sumikai.com

「日本での#MeToo レイプの被害に遭ったと主張する女性ジャーナリストが、著書『Black Box』の中で、自身の闘いを語った」20Minutes

TEXT by Mathias Cena 2019.4.4

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伊藤詩織さん。2018年6月26日、ロンドンにて Geoff Pugh/Shutterstock/SIPA

今日、フランスで著書が出版されたその女性は、顔を出して証言をした。これは、被害者がまれにしか事件を告訴しない日本で、例外的な出来事である。

・ジャーナリストの伊藤詩織さんは、2015年に日本のテレビ局の局長からレイプの被害に遭ったと主張している。

・彼女の告発する男性は、日本の首相に近い人物であり、この男性の逮捕は、警察の「上層部からの」電話により、直前に取りやめになる。
・顔を出して証言をしてから、彼女は脅迫の的となり、そのことが日本を離れることを余儀なくされる状況へと彼女を追いやった。
・彼女は、今日フランスで出版された著書『Black Box』の中で、自身の声を聞き入れてもらうために、その闘いを語っている。

「あの日、私は一度殺された」
2015年4月3日、当時26歳の伊藤詩織さんは、テレビ局TBSの局長、山口敬之と会う約束をしていた。山口氏は日本のテレビ局のワシントン支局を指揮しており、伊藤さんがアメリカの局で働くための就労ビザについて話し合うために、彼女を夕食に招待した。その夜、彼女の人生は大きく変わってしまう。レストランの化粧室で意識を失った彼女は、ホテルの一室で目覚める。男と一緒だった。彼女は山口氏がドラッグを使い、レイプしたと告発している。しかし、山口氏は否認している。
トラウマを乗り越え、彼女は顔を出して証言をすることにした。これは、被害者がめったに事件を告訴しない日本で、例外的な行動だった。そして彼女はいくつもの嘲りと死の脅迫を受け、そのせいで日本を離れ、ロンドンに移り住むことになった。彼女は現在、ロンドンで生活し、働いている。今日、フランス語版が出版された著書『Black Box』の中では、日本の#MeTooムーヴメントの代表的人物の一人となった彼女の声を聞いてもらうための、そして日本人のメンタリティを変えるための闘いが語られている。

「被害者なら被害者らしくしてくれないと」

先週私たちは、東京に滞在中の伊藤詩織さんに会うことができた。彼女はこう語ってくれた。「はじめの頃、この本を書くことは、私にとって身を守り、トラウマとうまく付き合っていくための方法でした。またそれは、なぜ私が闘っているのか、その理由を一般の人たちに知ってもらうためでもありました。本を書くのは、加害者を非難するためではなく、私が直面しなければならなかった日本のシステムを再検討するためなのです。大勢のレイプのサバイバーたちが、非常につらい試練を味わっています。司法がどのように機能し、警察がどのように捜査するかを知ることもなく」彼女はそう説明する。彼女は著書の中で、被害者たちを待ち受ける、屈辱とフラストレーションに満ちた道のりを、克明に描写している。たとえば、被害の翌日にモーニングアフターピルを処方した女性婦人科医の冷たい対応や、また、電話口で、血液検査とDNA検査を受けに行くための情報を彼女に提供することを拒んだ、性暴力被害者支援団体の対応などである。
「このようなことはよくあること。捜査をするのは難しい」彼女が告訴をしに行くことを決意したとき、捜査員が彼女にそう言い放った。他の警察官は彼女にこう説教した。「もっと泣いてくれないと、あなたの言いたいことが伝わってきませんよ」また、警察は彼女にこう忠告した。彼女が告発するのは「著名で高い地位にある人だ。こんな人を訴えたら、おそらくあなたのキャリアは台無しになってしまいます」それから地面に横たわり、等身大の人形を載せられた状態で警察官に囲まれて写真を撮られる、事件の再現の屈辱がやってくる。これは日本での一般的なやり方で、被害者たちにとって「セカンドレイプ」であると非難されている。

レイプの被害者たちが告訴する割合は、わずか4%

このような障壁や、レイプにまつわるタブーのせいで、ほとんどの被害者が告訴をしない。2014年に行われた日本政府の調査によると、女性の15人に1人が、過去にレイプの被害に遭ったと答えている。これに対して、被害を報告した人の割合はわづか4.3%である。2017年には1,109件のレイプ事件が警察に報告された。これは人口10万人に対して0.8人の割合である。同じ年にフランスでは、16,400件のレイプ事件が警察に報告されている。これは人口10万人に対して24人の割合である。
20世紀初頭に制定されたレイプに関する日本の法律は、2017年に改正された。女性器への男性器の挿入しかレイプとみなされなかったこの法律の定義は、男性に対するレイプや口腔性交、そして肛門性交もレイプとみなされるよう拡大された。また最低量刑も在来の3年から5年に延長された。しかし、法律では性的同意については言及されておらず、加害者が知り合いだったり、レイプが閉ざされた場所で起こった場合に、同意がなかったことを証明するのは非常に難しい。伊藤詩織さんはこのような数々のブラックボックスが存在することに気づき、著書のタイトルを『Black Box』とした。
山口敬之は性的関係を持ったことは認めているが、彼は伊藤さんが性行為に同意しており、当然意識もはっきりしていたと断言している。彼の説明によると、彼女はその夜の会食のあいだ飲みすぎており、そのせいで記憶を失ったのだという。彼はニューヨーク・タイムズ紙の取材に対して、彼女を自身の滞在するホテルの部屋に連れて行ったのは、彼女が一人では自宅にたどり着けない恐れがあったからだと主張している。
警察は、二人をホテルまで乗せたタクシー運転手の証言などを証拠として集めた。運転手によると、彼女は駅で降ろして欲しいと何度も繰り返し頼んでいたという。ホテルの防犯カメラの映像も、彼女がよろめいて、一人では歩けない状態であったことを示している。またさらに、彼女のブラジャーからは、山口氏のDNAが検出されている。しかし、捜査員たちが山口敬之を空港で逮捕するはずだったその当日に、ある指令が下り、逮捕は取りやめになってしまう。日本のメディアは、彼女の告発する男性が安倍晋三首相に近い人物で、首相の伝記作家でもあり、そのような関係によって彼は守られたのだろうかと強調している。当時の警視庁刑事部長で、菅官房長官の秘書官を務めていた経験もある中村格は、自分が逮捕取りやめの指示を出したことを後に認めた。しかし、詳しい説明はなされていない。

「日本人だったら、こんな風に証言などしなかっただろう」

事件が不起訴となった伊藤詩織さんは、2017年5月、顔と名前を出して記者団の前で証言することを決意した。そしてすぐに彼女はインターネットを通して、大量の侮蔑の言葉や死の脅迫を受け取った。彼女は事件を人為的に仕組んだと非難された。また彼女は、「左翼」だとか「在日朝鮮人」だといった非難を浴びた。なぜなら日本人の女性なら、性暴力に関するタブーを打ち破って、被害について話しはしなかっただろうからという理由で。伊藤詩織さんはこう指摘する。
「それはとても皮肉なことです。なぜならその反面、セックスや、女性を性の対象化することがいたるところで見られるからです。またこれは古い考え方ですが、女性がレイプされたとき、その女性は家族や親戚にとって傷痕であり、恥であるのです。しかし、被害者たちを非難する文化は、日本だけでなく、いたるところに見られます」

アドレスや家族の写真がネット上に曝され、身の安全を恐れた彼女は、ロンドンでジャーナリストとドキュメンタリー映像作家としての仕事を続けることにした。
「今でも、嘲りや脅迫のメッセージを常に受け取っています。でも私は、あまり見ないようにしています。メッセージを選り分けてくれる友人たちの助けがあるからです。以前はこれらのメイルにすべて目を通し、検討しなければならないと思っていました。そしてその度に、手と体が凍りついたようになりました」しかし、ネットを離れた現実の世界では、反応はまったく異なるという。
「当初は、外出するときには変装をしていました。しかし私はそんなことをするのはやめて、身を隠さなければならないのは自分ではないことを心に決めました。すると、道を行く人たちが「応援してるよ」といって声をかけてくれるようになりました。またある日、カフェで一人の女性が私のところに来て、自分の受けた被害を語りながら泣き始めました」彼女はいつの日か日本に戻ることが出来る日がやってくるのを望んでいる。なぜなら、「メディア業界を変えるためにやらなければならないことが山ほどある」からだ。
「もう日本で働くことはできないだろうと言われました。しかし、状況は徐々に変化しています。たとえまだ、私とつながるのを恐れている人たちがいるにしても」

2017年9月、検察審査会は事件を刑事事件として不起訴相当とした。彼女は著書の最後で未解決のままとなっている一つの問題に対する答えを得るために、民事訴訟を起こした。その問題とはこうだ。「なぜ中村格は逮捕取りやめの指示を出したのか?専門記者たちによると、このような指示は異例のことだ」

伊藤詩織さんはこう残念がる。「私は彼に手紙を書き、電話をし、近づいて直接話しかけようともしました。しかし、彼は一度も答えてくれませんでした。もし彼がこのようなことができるのであれば、彼や体制側はもっとひどいことができるということです。これは恐ろしいことです」(了)

(元記事)

www.20minutes.fr

韓国の #MeToo⁠ ⁠⁠ ⁠ のパイオニア、ソ・ジヒョンさんインタヴュー動画翻訳 AFP通信 2018.9

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彼女は韓国での(#MeToo ムーヴメントの)先駆者である。職場でハラスメントに遭った彼女は、自身の経験を公表することにした。

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韓国では、多くのハラスメントの被害者たちが、社会からの追放を恐れて沈黙したままでいる。

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ソ・ジヒョンさん 「侮辱され、罵りの言葉を浴びるのは実に苦しいものです。なぜなら私は嘘偽りなく、情熱を持って検察の職務に当たっていましたから。2004年に司法官になってから、セクハラや言葉の暴力を受けなかった日は1日とてありませんでした。
それは、いちいち気に留めていたら仕事にならないほどでした。そのため、私は自分の感情を抑圧することに慣れてしまいました。いつも、いつもです。」

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「沢山の女性たちが「あなたの体験が私たちに勇気を与えてくれた」と言って、感謝をしてくれました。私の事例が彼女たちに、性的虐待が起きるのは彼女たちに落ち度があるからではないということを気付かせたのです。」

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ソ・ジヒョンさんの証言以後、何人もの女性たちが同様の告発をした。(了)

 

(動画)

Pionnière du #MeToo sud-coréen, une magistrate déterminée - YouTube









「伊藤詩織さん、捨て身の真実」Libération紙

TEXT by Rafaële Brillaud 2019.4.28

この若い日本人ジャーナリストは、性暴力の存在が否定される国で、加害者を告発するため、勇敢にも公の場で発言をした。

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©Michel Temteme

ガラスの向こうで、桜の花がかすかに揺れている。東京の、桜の見えるカフェを、伊藤詩織さんは待ち合わせの場所に指定してきた。春が訪れているだろうことも忘れて。桜の季節を忘れてしまった日本人女性に、会ったことのある人はいるだろうか?満開の桜の花を突然目にすると、苦しくなって涙が流れる。そんな不調和に彼女は気づく。
「友人たちと花見をしなくなってから4年になります」
溢れる感情とともに、彼女はそう語った。ちょうど4年前、2015年4月3日のことだった。彼女が体に痛みを感じて目を覚ますと、前夜一緒に酒を飲んだ男性にホテルの一室でレイプされている最中だった。彼女は食事の席で化粧室に立ってから、ホテルの一室で目覚めるまでの数時間のことを一切覚えていなかった。彼女は「痛い」と言ったが、彼は行為をやめなかった。彼女は逃げ出すことができた。しかし、それは苦難の始まりでしかなかった。その後、病院も被害者支援センターも警察も、彼女に救いの手を差し伸べてくれなかった。大きな決意をしたおかげで、彼女は事件の証拠となるいくつかの情報を集めることができた。しかし「上からの」指示で、加害者の逮捕は見合わせになってしまう。TBSの上層部の人間で、安倍首相の伝記作家でもある山口敬之は事件を否定している。彼が裁判所から追求されることはなかった。伊藤詩織さんは、日本の女性がほとんどしないことをした。つまり、彼女は声を上げたのだ。2017年、彼女は顔を出して証言をした。5月に記者会見を開き、10月には著書を出版した。彼女の物語である『Black Box』はフランス語に翻訳されたばかりだ。簡潔な、そして厳密で容赦ないタッチで書かれたこの本は、日本社会の知られざる側面を暴いてみせる。コロンビアのゲリラや、ペルーの密林の麻薬密売の元締めたちを取材したことのある、29歳の彼女はこう書いている。「私はおよそ60カ国を旅してきたが、辺境の地での滞在や取材で身に危険を感じたことはなかった。私が危険を味わったのは、アジアでもっとも安全な国の一つとして名高い、私の生まれた国、ここ日本だった」

この、自分の国に挑みかかる女性といった姿は、彼女の優しくしとやかな物腰をもつ、か細いシルエットの後ろに隠れて見えなくなってしまう。「私は庶民階層の、まったく普通の家の生まれなんです」このCalvin Klein のクリップビデオの新しい主要人物は、ジーンズにシャツという気取らない格好でそう強調する。彼女は神奈川県で、建築業に従事する父と専業主婦の母のもとに、三人姉弟の長女として生まれた。「妹と弟は、私と全く違う人生観を持っています。どうして私だけ違った風に育ったのでしょう…。昨年、従兄弟が結婚するときに、何人もの親戚の人から、またこう訊かれたのです。「どうしてあなただけそんなに違うの?」って」
というのも、伊藤詩織さんは右へ倣えをしなければならないこの国で、絶えず進路を変えてきたからだ。9歳のとき、彼女はスカウトされてモデルの仕事を始める。「母が、FAXで送られてきた地図の下に道順と乗り換えの仕方を書いてくれて、私はその地図を持って一人で配役や撮影の現場に行っていました」
彼女は「ほかの子達と同じように振舞って、質問などしないのが当然な」学校で窮屈な思いをする。そして入院生活を送ったときに、人の命の短さに気づく。その後、海外の高校に1年間留学するために貯金を使い、カンザス州のホストファミリーのもとで寝泊りをする。卒業後、ヨーロッパとニューヨークで、ジャーナリズムを学ぶためにいくつものアルバイトをこなす。(ニューヨークで)彼女は、当時TBSのワシントン支局長だった山口敬之と出会う。のちに彼女は山口氏と東京で再会する。彼が仕事のポストをちらつかせたからだ。

彼女の人生は大きく、決定的に変わってしまう。もちろん彼女は被害のことを忘れようとした。警察は、告訴することは彼女のキャリアを傷つける恐れがあることを力説して、彼女に告訴することを思いとどまらせようとした。しかし、説得はむなしく終わった。彼女はこう語る。「自分の夢見ていた分野で働けなくなることは、私にとってどうでもいいことでした。もし自分の信条に背いて生きなければならないのであれば、どんな仕事もふさわしくないでしょう。なぜならそんな自分は、もはや自分ではないでしょうから」
伊藤詩織さんはその姿勢を粘り強く、あくまで貫き通し、どんな屈辱からも決して逃げなかった。例えば、2時間かけて女性警官に被害を打ち明けたとき、彼女が話し終わると、女性警官から「自分は交通課の人間で、話を聞き取ることはできない」と言われたこと。また、複数の警察官に囲まれ、マネキンを上に載せられた状態で床に寝そべらなければならない、事件の再現に耐えること。そして、この「よくあること」について何も公表することは出来ないと断言するメディアの前で息切れし、あえぐことなどである。
説得手段が尽き、彼女は記者会見を開く。これは#MeTooが大きな波となっておらず、沈黙が当たり前だった日本で注目すべきことだった。だが思いがけない反発が起こり、彼女は侮辱と脅迫、そして攻撃のメッセージの津波に襲われた。母親からは、あなたは妹を深く傷つけたといって、妹との連絡を一切断つよう言われた。彼女自身も、もはや食事を摂ったり外出したりすることのできないような状態だった。彼女は外出するときには変装をし、住む部屋も変え、そして日本を離れてロンドンで暮らすことになった。トラウマと悪夢に、絶えず苦しめられ続けて。

フランス人ジャーナリストのミエ・コヒヤマさんは、驚嘆の声を上げる。「彼女は地獄を味わったのです。彼女は並外れた強さを持っています。私の父は日本人で、私は東京で学び、働いた経験があります。この国のことをよく知っているので、この若い女性にはびっくりさせられました」ミエ・コヒヤマさんは、幼少期に受けたレイプ被害による心的外傷後健忘に苦しめられた経験を持ち、そして、未成年者へのレイプ事件の公訴時効期間の改正のために闘っている。

よりよく生き延びるために伊藤詩織さんは捜査をし、あらゆる手段を使った。日本の法律で性暴力の加害者が有罪となることは滅多にない。被害者は、性行為に同意していなかったことを証明しなければならないからだ。ところが、被害者は多くの場合、恐怖で身動きがとれなくなってしまう。彼女は言う。「密室で起こったことは第三者には知り得ない、といつも繰り返し言われました。検察官はこの状況を「Black Box」と形容しました」

伊藤詩織さんは、(レイプされたとき)デート・レイプ・ドラッグの影響下にあったのだと考えている。日本ではこのような場合、「準強姦(quasi-viol)」という。このような状況はつまり、性暴力に関して、先頭に立って行うべき闘いが残されているということである。

ロンドンで、彼女はスウェーデン人の友人と、「Hanashi Films」というプロダクション会社を設立したばかりだ。会社名は2人のファーストネームの最初のシラブルから取ったもので、日本語の「話」の意味だ。メディアで発言する間隙を縫って、6人の弁護士とともに、係争中の民事裁判の手続きを進めてもいる。彼女はノートパソコンを取り出し、「私の監督した最新のドキュメンタリー作品を見てもらえませんか!」と言う。収入や私生活については秘密のままだが、休むのができないことは本人も認めている。そしてただ、次のようなことだけを、そっと教えてくれた。クリスチャンではないのに、教会の静けさの中に逃げ込むのが好きなこと。それからずっと前からヨガを続けていることを。パソコンの画面には、裸で、石けんのあぶくにまみれて体を洗う人たちが映っている。彼女のカメラは、消滅しつつある北海道の小さな町の住民たちの姿を、できるかぎり正確に追っている。伊藤詩織さんは彼らの日常を撮影し、そのうたかたの人生を捉えようとする。自らの人生のつらい体験を、よりうまく忘れるために。(了)

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「日本は性暴力についてオープンに話すことの出来る社会の最初の段階にある」Paris Match誌

2019.4.22

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©Hanna Aqvilin

著書『Black Box』を発表したジャーナリストの伊藤詩織さん。この本は自身のレイプ被害を語り、性暴力とそれに関する廃れた法律を告発するもので、またそれだけでなく日本でのMeTooムーブメントの影響を語る力強い証言である。

Kahina Sekkaiさん: どのように本を書く決心をしたのですか?

伊藤詩織さん : 2年前、私が自身の体験を公に話したときのことです。私は編集者の女性から手紙を受け取りました。長い手紙で、私に本を書くことを促す内容のものでした。彼女は私を励まして、(性暴力に関する)法律改正の直前だったその時期に、なぜ私たちがこの性暴力についてはなさなければならないのかということを言うために、自分の言葉を使って本を書くことを促しました。私が自身の体験を語ったとき、世間の人たちはこの事件をスキャンダラスなものとして見ました。編集者の女性は、「あなたは扉を開いたのです」「あなたは話さなければならないでしょう」と言って、私を勇気づけてくれました。しかし事件について思い出すことは未だ心に傷を与えるようなつらいことで、私は本を書くことのできる状態にはありませんでした。私は彼女に3年か4年待ってほしいと言いました。自分に起こったことを全て理解し、自分のものにするための時間としてです。しかし彼女は人々が私の声に耳を傾けている限り、出来るだけ早く本を書くようにさせました。私は彼女のアドバイスに従いました。当時私は自宅に戻ることが全く出来ず、友人たちの家に身を隠していました。東京で生活を続けることはとても難しく、以前住んでいた辺りはもう安全ではないと感じていました。幸いにも私はロンドンで働く機会を得て、そこで本の執筆をしました。私は3ヶ月間、昼夜のべつなく書き続けました。でも今は本を書いたことに満足しています。

Kahina Sekkaiさん : 本を書くことは、あなたにとってカタルシスを感じるような体験だったのですか?

伊藤詩織さん : 書き始めてすぐの頃には、全くそうではありませんでした。ときには自分の書いた原稿を2、3週間も見ることができないこともありました。しかし最終的にはそうだったといえます。本を書くことによって全ての事実、全ての詳細、全ての記憶を整理することができたのです。そして本を書くことは、自分の記憶により多くの自信を与えてくれました。つまり全てが本当であって、全てが真実であることが、事実によって確認されたのです。

Kahina Sekkaiさん: あなたの著書は単なる個人的な証言以上のもので、これは日本の法律の変化と理屈の変化を擁護する弁論と言えるものです。

伊藤詩織さん : もし法律システムや社会からの精神的支援が十分に強固であったなら、私はおそらくこの本を書くことはなかったでしょう。私が本を書いたのは、自分が今まで一体どんな社会に生きていたのかということに気付き、驚いたからです。これは言及したり、書いたりシェアすることの非常に難しい話題でした。日本に戻ってくると、私はいつも困難を覚えています。

Kahina Sekkaiさん: 結果はどうでしたか?また、どのような影響がありましたか?

伊藤詩織さん: だんだんと良くなっています。しかしこの話を耳にすることを好まない日本人がどれだけいるのか、その割合を推定することは難しいです。私はネット上で沢山の否定的なメッセージを受け取り、ときには自分や家族の身の安全が脅かされるように感じることもありました。家族は私に本当に公表して欲しくなかったのです。まして私が本を書くことなど望んではいませんでした。しかし私は自分の言葉を使うことが、自分の身を守る唯一の方法だということを知っていました。もし私が全てを話せば、いっそう安全だと考えられるのです。なぜならそうしておけば、もし私や家族の身に何か起こっても、世間の人たちは私や家族の身に何が起こったかを理解してくれるかもしれないからです。

Kahina Sekkaiさん: #MeTooムーブメントが起こってから一年以上になります。このことについてどう思われますか?

伊藤詩織さん: #MeToo が起こったのは、私が被害を公表してからおよそ半年後のことでした。それはちょうど私の本が日本で出版されたのと同じ時期でした。その頃私は、自分は一人だと感じていて、みんなが話すのを決心したことに驚きました。家族も私が一人ではないのを見て、安心してくれました。#MeTooは、性暴力被害についてオープンに話すことのできたサバイバーたちにとって、有益なものでした。しかし日本では、まだそれはとても難しいのです。メディアの関心は変わり、メディアの中でも性暴力やセクハラについて話されはじめました。日本で私たちは、性暴力についてオープンに話すことのできる社会の、最初の段階にあります。しかし私たちには他の国々と同じように、そのような社会の実現までの長い道のりが残されているのです。

Kahina Sekkaiさん: あなたは著書の中で多くのページを割いて、日本の法律と諸外国の法律との違いについて説明しています。日本は特殊な国だとお考えですか?

伊藤詩織さん: 法律の面ではそうです。レイプに関する法律は110年間改正されないままでした。教育や法律の面で、変えるべきことがたくさん残っているのです…。しかし私は、肝要な問題は普遍的なものだと考えています。私は今、アフリカの女性器切除と性暴力の問題を仕事で取り上げています。もちろん、日本とアフリカでは問題は全く異なります。しかし、伝統やメンタリティといった面ではよく似ています。日本人として、女性に関連した問題について私たちがどれほど遅れていたか気付かされます…。日本の遅れている面に光を当てることは、居心地の悪い思いをさせるものでした。なぜならそれは日本人が聞きたくないと思っている問題だからです。しかしそれは事実です。そして、そのようにして変化は始まるのです。

Kahina Sekkaiさん: 執筆後、あなたの訴訟に進展はありましたか?

伊藤詩織さん:いいえ。私の訴えは不起訴になりました。刑事告訴がです。しかし私たちは2017年末に民事訴訟を起こし、係争中です。もうすぐ2人とも裁判所に出頭し、本人尋問が行われる予定です。しかし加害者は反訴をし、莫大な金額を請求してきました。メディアの中の一部には「被害者は笑顔を見せるものではないだろう」といって、私のことを批判する人たちもいました。これは興味深いことです。なぜなら #MeToo が起こって以後の今日でさえ、人々は旧弊な考えを持っているからです。それでも私は民事で争います。なぜなら、一般にもし刑事告訴が不起訴になれば、集められた証拠は不十分とされ、その証拠にアクセスすることはできないからです。そしてメディアは、裁判所が不起訴としたのだから事件は起きなかったのだと考えて、捜査を後押ししないのです。民事裁判では自身の証拠を見える形で並べることができ、一般の人たちはそれらの証拠を目にすることができるのです。それはより開かれたもので、人々は自分たちがどのような司法システムを有しているのかを目にすることでしょう。何が機能不全を起こしているのかを確認するためにです。

Kahina Sekkaiさん: 告訴に至るまでの間に、捜査官たちが、告訴をすることはあなたがジャーナリストとしての仕事を続けていく上で問題になるかもしれないといって、何度もあなたに警告したそうですね。あなたはジャーナリストとしてのキャリアを順調に重ねているのでしょうか?

伊藤詩織さん: 興味深い質問です。警察署に行ったとき、日本ではもう働けなくなるかもしれないと言われました。確かにそれは複雑でした。「就職の話を断るべきだった。なぜならそれは罠だったんだから」と言う人たちもいました。しかし私はメディアに何ができて何ができないのかを間近で見たと考えています。そして私は、どうやって性暴力について話すことができるのかということを学びました。日本のメディア業界で働くことは難しいです。しかしそれは重要なことです。なぜなら、私たちには非常に多くの取り組むべき問題があるからです。私は今、自由です。私は自分のプロダクション会社をロンドンに構えています。ドキュメンタリー作品を制作するためにです。私は着実に前に進んでいます。

Kahina Sekkaiさん: あなたは本の中で、事件がメディアで報道されたことが原因で、妹さんはあなたとの関係を絶ってしまったと説明しています。お二人の関係は改善されたのでしょうか?

伊藤詩織さん: #MeToo が起こってから、性暴力について話すことはそれほど難しいことではなかったことに、妹も気づいたと思います。それまで、妹は起こり得たことに対して恐れを抱いていました。私たちが話をするのに一年かかりました。年の離れた彼女は、もし世間の人たちが彼女が私の妹であることに気づいたら、仕事を見つけることができなくなるかも知れないと恐れていたのだと思います。その後、妹は働き始めましたが、それは家族にとってつらいことでした。私は家族のことが心配でした。私は行動することを決意しましたが、それは家族の選んだことではありませんでした。私は家族を出来る限り守りたいと考えていました。それが今ではより開かれた形になり、家族はより一層私を支え、理解してくれています。性暴力についてオープンに話すこと、つまり多くの人たちが自身の体験を語ったということ、そのような状況は変化し、そしてそれは私を大いに助けてくれました。フランスでこの本が出版されるのは、本当に不思議な気がします。考えてもみませんでしたから。とても興味深いことです。(了)

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