「伊藤詩織さん、捨て身の真実」Libération紙

TEXT by Rafaële Brillaud 2019.4.28

この若い日本人ジャーナリストは、性暴力の存在が否定される国で、加害者を告発するため、勇敢にも公の場で発言をした。

f:id:StephenDedalus:20210720175924p:plain

©Michel Temteme

ガラスの向こうで、桜の花がかすかに揺れている。東京の、桜の見えるカフェを、伊藤詩織さんは待ち合わせの場所に指定してきた。春が訪れているだろうことも忘れて。桜の季節を忘れてしまった日本人女性に、会ったことのある人はいるだろうか?満開の桜の花を突然目にすると、苦しくなって涙が流れる。そんな不調和に彼女は気づく。
「友人たちと花見をしなくなってから4年になります」
溢れる感情とともに、彼女はそう語った。ちょうど4年前、2015年4月3日のことだった。彼女が体に痛みを感じて目を覚ますと、前夜一緒に酒を飲んだ男性にホテルの一室でレイプされている最中だった。彼女は食事の席で化粧室に立ってから、ホテルの一室で目覚めるまでの数時間のことを一切覚えていなかった。彼女は「痛い」と言ったが、彼は行為をやめなかった。彼女は逃げ出すことができた。しかし、それは苦難の始まりでしかなかった。その後、病院も被害者支援センターも警察も、彼女に救いの手を差し伸べてくれなかった。大きな決意をしたおかげで、彼女は事件の証拠となるいくつかの情報を集めることができた。しかし「上からの」指示で、加害者の逮捕は見合わせになってしまう。TBSの上層部の人間で、安倍首相の伝記作家でもある山口敬之は事件を否定している。彼が裁判所から追求されることはなかった。伊藤詩織さんは、日本の女性がほとんどしないことをした。つまり、彼女は声を上げたのだ。2017年、彼女は顔を出して証言をした。5月に記者会見を開き、10月には著書を出版した。彼女の物語である『Black Box』はフランス語に翻訳されたばかりだ。簡潔な、そして厳密で容赦ないタッチで書かれたこの本は、日本社会の知られざる側面を暴いてみせる。コロンビアのゲリラや、ペルーの密林の麻薬密売の元締めたちを取材したことのある、29歳の彼女はこう書いている。「私はおよそ60カ国を旅してきたが、辺境の地での滞在や取材で身に危険を感じたことはなかった。私が危険を味わったのは、アジアでもっとも安全な国の一つとして名高い、私の生まれた国、ここ日本だった」

この、自分の国に挑みかかる女性といった姿は、彼女の優しくしとやかな物腰をもつ、か細いシルエットの後ろに隠れて見えなくなってしまう。「私は庶民階層の、まったく普通の家の生まれなんです」このCalvin Klein のクリップビデオの新しい主要人物は、ジーンズにシャツという気取らない格好でそう強調する。彼女は神奈川県で、建築業に従事する父と専業主婦の母のもとに、三人姉弟の長女として生まれた。「妹と弟は、私と全く違う人生観を持っています。どうして私だけ違った風に育ったのでしょう…。昨年、従兄弟が結婚するときに、何人もの親戚の人から、またこう訊かれたのです。「どうしてあなただけそんなに違うの?」って」
というのも、伊藤詩織さんは右へ倣えをしなければならないこの国で、絶えず進路を変えてきたからだ。9歳のとき、彼女はスカウトされてモデルの仕事を始める。「母が、FAXで送られてきた地図の下に道順と乗り換えの仕方を書いてくれて、私はその地図を持って一人で配役や撮影の現場に行っていました」
彼女は「ほかの子達と同じように振舞って、質問などしないのが当然な」学校で窮屈な思いをする。そして入院生活を送ったときに、人の命の短さに気づく。その後、海外の高校に1年間留学するために貯金を使い、カンザス州のホストファミリーのもとで寝泊りをする。卒業後、ヨーロッパとニューヨークで、ジャーナリズムを学ぶためにいくつものアルバイトをこなす。(ニューヨークで)彼女は、当時TBSのワシントン支局長だった山口敬之と出会う。のちに彼女は山口氏と東京で再会する。彼が仕事のポストをちらつかせたからだ。

彼女の人生は大きく、決定的に変わってしまう。もちろん彼女は被害のことを忘れようとした。警察は、告訴することは彼女のキャリアを傷つける恐れがあることを力説して、彼女に告訴することを思いとどまらせようとした。しかし、説得はむなしく終わった。彼女はこう語る。「自分の夢見ていた分野で働けなくなることは、私にとってどうでもいいことでした。もし自分の信条に背いて生きなければならないのであれば、どんな仕事もふさわしくないでしょう。なぜならそんな自分は、もはや自分ではないでしょうから」
伊藤詩織さんはその姿勢を粘り強く、あくまで貫き通し、どんな屈辱からも決して逃げなかった。例えば、2時間かけて女性警官に被害を打ち明けたとき、彼女が話し終わると、女性警官から「自分は交通課の人間で、話を聞き取ることはできない」と言われたこと。また、複数の警察官に囲まれ、マネキンを上に載せられた状態で床に寝そべらなければならない、事件の再現に耐えること。そして、この「よくあること」について何も公表することは出来ないと断言するメディアの前で息切れし、あえぐことなどである。
説得手段が尽き、彼女は記者会見を開く。これは#MeTooが大きな波となっておらず、沈黙が当たり前だった日本で注目すべきことだった。だが思いがけない反発が起こり、彼女は侮辱と脅迫、そして攻撃のメッセージの津波に襲われた。母親からは、あなたは妹を深く傷つけたといって、妹との連絡を一切断つよう言われた。彼女自身も、もはや食事を摂ったり外出したりすることのできないような状態だった。彼女は外出するときには変装をし、住む部屋も変え、そして日本を離れてロンドンで暮らすことになった。トラウマと悪夢に、絶えず苦しめられ続けて。

フランス人ジャーナリストのミエ・コヒヤマさんは、驚嘆の声を上げる。「彼女は地獄を味わったのです。彼女は並外れた強さを持っています。私の父は日本人で、私は東京で学び、働いた経験があります。この国のことをよく知っているので、この若い女性にはびっくりさせられました」ミエ・コヒヤマさんは、幼少期に受けたレイプ被害による心的外傷後健忘に苦しめられた経験を持ち、そして、未成年者へのレイプ事件の公訴時効期間の改正のために闘っている。

よりよく生き延びるために伊藤詩織さんは捜査をし、あらゆる手段を使った。日本の法律で性暴力の加害者が有罪となることは滅多にない。被害者は、性行為に同意していなかったことを証明しなければならないからだ。ところが、被害者は多くの場合、恐怖で身動きがとれなくなってしまう。彼女は言う。「密室で起こったことは第三者には知り得ない、といつも繰り返し言われました。検察官はこの状況を「Black Box」と形容しました」

伊藤詩織さんは、(レイプされたとき)デート・レイプ・ドラッグの影響下にあったのだと考えている。日本ではこのような場合、「準強姦(quasi-viol)」という。このような状況はつまり、性暴力に関して、先頭に立って行うべき闘いが残されているということである。

ロンドンで、彼女はスウェーデン人の友人と、「Hanashi Films」というプロダクション会社を設立したばかりだ。会社名は2人のファーストネームの最初のシラブルから取ったもので、日本語の「話」の意味だ。メディアで発言する間隙を縫って、6人の弁護士とともに、係争中の民事裁判の手続きを進めてもいる。彼女はノートパソコンを取り出し、「私の監督した最新のドキュメンタリー作品を見てもらえませんか!」と言う。収入や私生活については秘密のままだが、休むのができないことは本人も認めている。そしてただ、次のようなことだけを、そっと教えてくれた。クリスチャンではないのに、教会の静けさの中に逃げ込むのが好きなこと。それからずっと前からヨガを続けていることを。パソコンの画面には、裸で、石けんのあぶくにまみれて体を洗う人たちが映っている。彼女のカメラは、消滅しつつある北海道の小さな町の住民たちの姿を、できるかぎり正確に追っている。伊藤詩織さんは彼らの日常を撮影し、そのうたかたの人生を捉えようとする。自らの人生のつらい体験を、よりうまく忘れるために。(了)

www.liberation.fr